【2013年度最終報告会のご案内】

9月に入り、いよいよ本番セッションの開始が迫ってきております。915日の北京への渡航に向け、準備も大詰めを迎えているところです。さて、京論壇のホームページやFacebookのページにおいてご覧になった方も多いかもしれませんが、ここで2013年度最終報告会のご案内をさせていただきます。

 

 

 

最終報告会は、本番セッションの最終日である106日に、東京大学駒場キャンパスにおいて実施いたします。今年度の分科会の各テーマである「社会保障」「教育」「労働」に関して、半年間をかけて準備し、日中で2週間の議論を行った成果の発表会です。皆様お誘い合わせの上、ぜひお越し下さい。

 

 

 

以下が詳細です。

 

なお、詳細はホームページ(http://jingforum.org/jp/event/)やFacebookのページ(https://www.facebook.com/events/575298419173920/)からもご覧になることができます。Facebookのアカウントをお持ちの方は、ぜひ参加ボタンを押してお知らせください。なお、アカウントをお持ちでないかたは、当日そのままお越しください。

 

 

 

【第一部 報告会】

 

日時:10614:00~17:0013:40開場、途中入退場可)

 

場所:東京大学駒場キャンパス21KOMCEEレクチャーホール

 

   http://www.komcee.c.u-tokyo.ac.jp/access

 

使用言語:英語(通訳機貸出し予定)

 

 

 

【第二部 懇親会】

 

日時:10617:30~19:0017:00開場、途中入退場可)

 

 場所:東京大学駒場キャンパス内

 

参加費用:無料

 

 

 

それでは当日皆様とお会いできるのを楽しみにさせていただいております!

 

 

論理と感情と価値観

僕は人と話をするときには論理というものがあまり好きではありません。数学や物理といった世界では絶対的な存在なのに、人と話すときに論理に頼りすぎると人間が依って立つべき感性を見失っているような気持ちになってしまいます。

 

日本ではあまり議論されていませんが、アメリカでは選挙の度に人工妊娠中絶を認めるか否かが大きな論争になっているそうです。昨年の大統領選挙では保守路線の共和党を率いるロムニーは妊娠中絶に反対したのに対し、リベラルの民主党の指名を受けたオバマは妊娠中絶を容認する姿勢を示し、ひとつの論点となりました。

 

僕は妊娠中絶の権利はどの女性にも認められるべきだと思います。しかし、なぜそう思うのかを論理的に考えると行き詰まってしまいます。一般的に妊娠中絶に反対する論理としては、「中絶は胎児の生命の権利を剥奪する行為なので許されない」というものが中心で、一方妊娠中絶賛成の論理としては「女性の選択の権利は認められなければならない」というものが代表的です。ここで双方の論理の土台になっている生命の権利と選択の権利を天秤にかけて論理的に考えると、僕の脳は生命の権利の方が重いと判断してしまいます。中絶しなければ女性が大変大きな生命の危機に晒される特殊な場合を措くと、命をとられることと選択できずにその先不自由な生活を強いられることを比べると命を取られることの方が重大な権利の侵害であると考えてしまう。女性の権利は尊重するべきであるが、何の罪もない胎児の生命の権利を侵害してまで守るべきではないという結論に至ってしまう。論理的に考えると僕は人工妊娠中絶に反対しなければならなくなってしまうのです。

 

しかし僕は、妊娠中絶に反対する陣営に立つことはできません。繰り返しになりますが妊娠中絶の権利は全女性に与えられるべきだと思います。いったいなぜなのだろうか。あれこれと悩みながらそう思う理由をつきつめると、その理由は論理が支配する理性のフィールドにはなく、経験と感情が棲む感性の世界にあることに気づきました。

 

僕が妊娠中絶を支持する本当の理由は、選択の権利を巡る普遍的な論理にではなく、現実の世界で見知っている友人や子どもたちや社会人の女性が妊娠をめぐるトラブルで苦しんでほしくないという個人的な感情にあったのです。根底にあるのは「今・ここ」で接する女性が中絶する権利を与えられずに苦しむのは耐えられないという気持ちです。周囲の女性に苦しんでほしくないのだから、もちろん自分が知らない今生きている女性にも苦しんでほしくない。だから人工妊娠中絶の権利は与えられるべきだと思う。論理ではなく、感情が、僕が妊娠中絶に賛成する本当の理由でした。

 

論理こそがルールであるディベートで僕が人工妊娠中絶を擁護する側に回ったとしましょう。「今生きている女性に苦しんでほしくないから」という個人的な感情がディベートで通用するわけがないので、論戦に勝つ為に僕は必死に人工中絶を擁護するための切れ味ある論理的理由を探すことになるでしょう。しかし、そこで相手を粉々に論破するすばらしい論理を思いついたとしてもそれは僕自身が中絶に賛成する真の理由にはなるとは思えません。逆に、人工妊娠中絶に反対する側にいくら論理的な攻撃を受けたとしても、論理の次元での敗北は認めることはあっても、今を生きる女性に苦しんでほしくないという感情が揺らがない限り、人工妊娠中絶賛成という姿勢は崩さないと思います。

 

脳死と臓器移植の関係をどう設定するか。死刑制度を撤廃するか。同性結婚を認めるか。人工妊娠中絶を巡る問題と同様に国論を二分するような問題は論理的な思考のみでなく、少なからず道徳的・感性的な営みが個々人の価値判断に現れると思います。yesなのかnoなのかを判断するプロセスには理性の働きだけでなく感性の働きも関わっているのではないでしょうか。

 

しかし、感性のフィールドが個々人の価値判断を左右するのにもかかわらず、ワイドショーなどでの政策論戦となると論理が偏重される嫌いがあると思います。もちろん論理は誰にでも理解させる説得力があるということは認めますが、人間が本来根ざしている感情を無視した論理の応酬は現実離れした空中戦のように思えることが多々あります。そうした番組は論理と事実を知る上では面白いですが、自分が価値判断を下すことにはあまり役立ちません。

 

京論壇の分科会で僕たちが扱う社会保障制度をめぐる問題でも同じです。「生活保護を減額するべきなのか」、「年金支給年齢を引き上げるべきなのか」などといった問題を考える際に、もちろん財政状況などの制約から論理的に解を導きだす努力をする必要はありますが、論理にかまけて感性の世界を完全に閉じたくはありません。自分の肌で感じたこと、腹に響いたこと、大脳のしわに刻まれたことをないがしろにして理性の世界に執着することで下される結論は僕にとっては価値判断ではなく、無機質な解答でしかありません。

 

京論壇の議論はもちろん論理を重視します。時として数学のように一意的に結論が導きだされる論理は魅力的でもあります。しかし、その論理の誘惑にかられて感性の世界を置き去りにしないようにしたい。感じたことを価値判断につなげたい。これが僕が京論壇で貫きたい姿勢の一つです。

第二回全体ミーティング(労働分科会)

こんにちは。2013年京論壇労働分科会参加者の玉木と申します。今回のブログ記事では、前回書かれておりました全体ミーティングに関して、労働分科会の立場からみた感想を書かせていただこうと思います。

 

○何をしたのか?

 前回の記事でもありましたが、今回はある程度「何を話すのか」以上に「どう話すのか/当日は具体的に何をするのか」と言った事に関して発表し、OBOGの方々よりその点について多くのアドバイスを頂きました。

 

○何に気をつけたか

 とはいえ、第一回ミーティングの時の反省から、このフレームワーク(議論のテーマ、題材等)に至った過程(ミーティングで行われた議論などを基にした僕らの思考の過程)について説明する事を意識しました。第一回の際にはまだ内容は決まっていなくてそれこそ思考の過程を発表したと思います。その際にもらったアドバイスを基にその後議論を行ってフレームワークを作成してきたと理解しています。そして今回もある程度その過程に関しても述べる事で、自分たちがそこからぶれているのか、と言った事が分かるかと思い、その点に留意して臨みました。

 

○フィードバックに関して

 第一に、議論するテーマに関する具体的なアドバイスを多くいただく事が出来ました。特に印象に残ったのは「具体的なロールモデルとなる人物を提示する」事が議論の円滑化・効率化に繋がるとした意見です。確かに自分たちの設定した議題は具体性を欠くものが多く、このままでは前提を共有せずに議論を始める事になってしまうのでは?という意識を持てるようになりました。

 第二に「何をするのか」に関して、当日に向けたより詳しい意見を聞く事が出来ました。特に印象に残っているのは「簡易な事前アンケートを用いる事で、どのテーマに関して集中的に議論すべきかあたりをつけておく」と言う事です。自分たちで予想している以上に「どのテーマに関して価値観の相違が出るか」というのは予想外である(だからこそ価値観の相違と言えるのでしょうけど)がために、用意していた議題では特に議論にならない事も多かったという経験を伝えてくださいました。当日の議論をスムーズに実りのあるものにするためにも事前アンケートは積極的に使っていこうと思います。

 

○今後の課題

 ミーティングにおける「英語で行う議論の練習」はとても大切だとの言葉を頂きました。今後必要な事は、当日の議論を少しでも実りある/効率的なものにするための準備であり、そのために必要なのは本番を想定した準備であり、そのためにもミーティングでの議論の練習は重要との事です。今後とも本番を想定した議論の練習を重ねていきたいと思います。

第二回全体ミーティングを振り返って

 こんにちは!京論壇2013副代表の寺井と申します。今回の記事では、825日(日)に行われた「全体ミーティング」の様子をお伝えできればと思います。

・全体ミーティングとは?
 全体ミーティングとは、京論壇の現役メンバーとアラムナイ(OBOGの方々)が一堂に集い、本番に向けた準備に関するフィードバックを頂く機会です。例年6月と8月に行われており、今年度も無事2回にわたって開催することができました。今回は、約20名のアラムナイの方々にご参加頂きました。

・何をやったの?
 3つの分科会の進捗発表をそれぞれ数名のアラムナイに聞いて頂き、それに対するフィードバックを頂く、といったセッションを3回繰り返します。
 今回は「第2回」全体ミーティングであったということで、第一回より具体的なレベルでの発表および質疑応答が出来たのではないかと思われます。第2回のミーティングの時点では、どの分科会もそれぞれ「何を話すか」についてのフレームワーク(議論の枠組み)がある程度出来上がっています。その前提の下での、より具体的な「どうやって話すか」についてのQ&Aが多かったように感じられました。

・「どうやって話すか」について
 そもそもですが、京論壇は3つの分科会に分かれて「議論」を行う団体です。なおかつ、私たちが目指すのは教科書的な議論を交わすことよりも、各メンバーの意見や価値観を露わにするようなコミュニケーションを図ることです。となると、議題は各メンバーにとって魅力的であり、興味深いものであることが要求されます。
では、メンバーのそうした興味関心を引き出し、各人が夢中になれるような議論をスタートさせるには、何が必要なのでしょうか。議論のスケジューリング、オンオフの切り替え等、メンバーのモチベーションに関わる要素は多岐にわたります。これらの中でも、ここで強調したいのは「問いの立て方」という要素です。
 深い議論は洗練された「問い」から発せられる、と私自身は考えています。例えば、日中の大学生の就職事情について話す会合があるとします。その際に、どうやって議論をスタートするべきでしょうか。一つ考えられるのは、「日中の大学生の就職事情について話そう!」と単純に切り出してみるという方法。これも勿論間違ってはいないと思います。しかしながら、この「問いの立て方」だと、私たち自身の立場から発せられる意見が出にくいのではないでしょうか。
そこで、こうした問いを立ててみるのはどうでしょう。「あなたは就職活動を自分の国で行って、どのような利点・改善点があると感じましたか?」という問いを投げかけてみるのはいかがでしょう。こうした問いの形式に変えることで、主語が「あなた」である、「あなた自身の意見」の発露を期待できはしないでしょうか。
 本当に深い議論は、一般論や「教科書に書かれたこと」から離れたところに存在する、そのように(少なくとも私個人としては)考えています。話を戻しますが、全体ミーティングでも、以上のような「問いの立て方」、換言すると「キー・クエスチョンの設定方法」に関する指摘が多かったように思われます。このキー・クエスチョンの設定というのは、準備期間において、フレームワークに比べるとどうしても手薄になってしまいがちな部分です。しかし、本番の議論を見据えると、その重要性は強調し過ぎることはないように思われます。

・今後に向けて
 アラムナイの方々からのご指摘が具体的なレベルに移っていっていることは、とりもなおさず「準備期間が終わりに近づいている」ことを意味します。そうです、本番のセッションもあと3週間後に迫っています!残された時間の中で、本番に向けて少しでも不安を取り除いていくこと、少しでも有用なデータを蓄積していくこと、こうした準備を私たちは進めています。日々身の引き締まる思いの中、最後まで準備を頑張っていく所存です。
 改めまして、今回ご参加頂いたアラムナイの方々、貴重なお時間をありがとうございました。今後ともサポートをよろしくお願いいたします。

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教育分科会 夏合宿

こんにちは。教育分科会の尾形です^^

教育学部に所属しており、来年から社会人になります。

京論壇には過去に友人や先輩が参加しており興味を持っていた為、大学を卒業する前に参加する事が出来、とても嬉しく思っています。

 

さて今回は、813日~14日に12日で行った教育分科会の合宿について書きたいと思います。

場所は埼玉県の武蔵嵐山にある国立女性教育会館で行ってきました。

(こんな名前ですが、ちゃんと男性も入れました) 

 

1日目はお昼ご飯を食べた後、私が担当していた「The selection system of higher education」について英語で議論しました。英語での議論はまだあまり行っていないので、これから本番に向けて増やしていきたいです。

 

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内容は、現在の日本の大学入試制度についての評価と、近年東京大学が導入を発表した入学試験への推薦制度への考えです。

東大入試への推薦制度導入という具体的な話題から、何か本番セッションに活かせる抽象的論点が浮かび上がれば、そして互いの価値観について深く掘り下げていければと期待していましたが、思ったほど個人の価値観を掘り下げられなかったと感じています。

これは議論のまわし方や質問不足が主な原因であり、司会を務めた自分の力不足を痛感しました。
次は、人の意見に対して「なぜそう思うのか?」等の疑問をもっと徹底的に畳み掛けていき、意見からその人のべースとのなる価値観を引き出していける様にしたいです。

分科会の勉強会では、いつも自分の足りない部分を発見し他のメンバーからたくさんの事を学んでいます。

残された活動時間の中で、少しでも多くの事を身につけ自分の糧にしていきたいと思います。

 

 

ご飯後の議論では、本番セッションで話すトピックについて1時間ほど話した後、「大学の大衆化」について議論しました。

議論後に、本番セッションでこの「大学の大衆化」トピックをどの様に扱っていくか、しばらく話し合いましたが、このトピックは長時間の議論には適さないのではないか、北京大生と東大生の中であまり意見に相違が出ないのではないか、といった意見が出てきました。

特に後者の、価値観の違いを浮き彫りに出来る議論になる様トピックや問いを設定する事というのは、なかなか難しいものです。

「価値観の違い」を知るには、ディベートの様な「Aさんが肯定派、Bさんが否定派」と恣意的に違いを作る事は出来ません。

また「議論」である以上、「Aさんはそういう意見なのかー、なるほどー。」と言う様に、それぞれの考えを述べて終わる意見交換では意味がありません.

いかにそれぞれの価値観を引き出し建設的な議論に出来る問いを設定していくか、本番セッションの議論はその部分に大きくかかっています。
本番に少しでもより良い議論が出来るトピック・問いの設定に向けて、励んでいきたいです。

 

 

ミーティングも全て終わった後の自由時間は皆で花火する気満々でしたが、建物のセキュリティ上の関係で夜10時以降は外に出られない事が判明してしまいましたorz

 

 

 

2日目は、本番セッションでの議論のフレームワーク作りを行いました。

今までの勉強会を振りかえつつ、互いの価値観を深く掘り下げるにはどの様な問いが適しているのか、本番に向けてこれから何をする必要があるのか、話し合いを進めていきました。

午前・午後と時間をかけて話し合った事もあり、少しずつ本番に向けての下地が出来てきました。

本番のトピックについては、今まで議論する予定だった「愛国教育」「教育格差」に加え、「高等教育(大学の大衆化やリベラルアーツ)」についても議論しようという事になりました。

高等教育、特にリベラルアーツは東京大学・北京大生ともに直接経験した事もあって、面白いディスカッションになるのではないかと感じています。

 

 

8月は皆忙しく、週1回ペースで会うよりまとめて勉強会&ミーティングをした方が良い」という事で行われた夏合宿ですが、本番に向けて更なる前進が出来たと思います。

北京セッションまで1ヶ月を切り、再来週にはOBOGさんを招いた全体ミーティングも開かれますが、実りある議論に向けて、残された時間の中でしっかりと準備を進めていきたいと思います。

 

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社会保障分科会夏合宿レポート

こんにちは!京論壇2013社会保障分科会参加者の万と申します。私は去年北京大学を卒業して、今は東大の修士一年生です。昔一年間の早稲田での留学経験に加え、日本は今年で二年目になります。このような少し特殊なアイデンティティで京論壇2013に参加できることを大変光栄に思います。

今回は、812日に行われた社会保障分科会の夏合宿の様子と自分の感想をお伝えしたいと思います。

 

合宿は、八王子にある大学セミナーハウスにて行われました。集合してから五人で花火とおやつを買いに行ったり、お互い近況報告しながら豪華なお昼を食べたり、午後1時半あたりから議論に入りました。まず北京側との共通テキストDimensions of Social Welfare PolicyIntroductionについて、各自英語で論点を挙げて、軽く議論しました。分科会での初めての英語議論なので緊張しましたが、本番まであと一ヶ月強なのでそんなことも言ってられません。

続いては第四章the Basis of Social Allocationsの輪読と議論ですが、アメリカの教科書だけあって、議論の進め方も論点も日本語テキストとは全然違います。視点を変えることで、メンバーそれぞれが社会保障のあり方と「富の分配」について再発見できたと思います。

二日目の議論は合宿のメインパートです。5人それぞれ担当とサブ担当の国の現行社会保障制度について発表し、各国の制度の共通点と相違点を比較しながら本番でのフレームワークを練ります。発表は高原(日本/アフリカ諸国)、万(中国/台湾)、窪西(イギリス/アラブ系)、篠生(スウェーデン/シンガポール)、高橋(アメリカ/南アジア諸国)という順番で進めました。各国の具体的な制度とその特徴にフォーカスし、本番での議論の土台を作るとても重要な基礎的情報を共有することができました。

しかしそこで議論のフレームワークに立ち返ると、いい案を思いつくことができませんでした。当たり前のことだけど、各国はそれぞれ違う発展水準に立ち、違う社会的事情を抱え、違う政策理念のもとで違う政策目標を追求しようとしています。その事実を改めて認識し、「ああそうか、それなら仕方ないね」というような結論ではなく、東大側と北京側がわざわざ議論し、価値観のぶつかり合いの終着点はもっと先にあるはずです。知識を貯蓄するうちにまた出発点に戻ったような気がします。議論の先に求めるものについて北京側とも近々意見を交換したいと思います。

時間が迫ってくる中、共通テキストの輪読・フレームワークの構築・英語力の強化とフィールドワーク+第二回全体ミーティングに向けての準備を同時に進める社会保障チームであります。合宿を通じて、自分がいかに優秀なチームメンバーに恵まれたかを改めて思い知りました。よく院における自分の研究についても思い詰めることがありますが、そんなときは5人で協力し合って、計画的に・順序良く準備を進める京論壇での経験を思い出すと、必ず力が湧いてくる気がします。そして、私にとって京論壇で得られる一番大事なものは、具体的な知識でも語学力でもなく、「人と人とのつながり」なのかもしれません。合宿一日目にやった花火も、夜のバスケと探険タイムも、深夜まで楽しんだ心理戦交えてのトランプも、かけがえのない宝物となりましょう。合宿で得られた経験すべてを糧に、あと一ヶ月強の準備に向けてさらに頑張りたいと思います!

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今回のブログは以上です。ご閲覧ありがとうございました!

価値観の源とは?

こんにちは。教育分科会の議長を務めている、渡邊です。

 今回は、「私の価値観ってどうやって構築されたんだろう」、という自分が抱いた素朴な疑問について書きたいと思います。

 

 私は、アフリカの人権問題に関心があります。一方で、「アフリカの人がどのような暮らしをしてようと自分にはどうでもよい。」そう考える人もいます。そんなとき私は、なぜ自分がアフリカの人権問題に関心があるのか、なぜ、アフリカの人たちも含め、すべての人々に人権が保障されなければならないと考えるのか、疑問に思いました。

 

 自分の人生を振り返ると、自分のそのような価値観を構成するのに寄与したと思われるものはたくさんあります。アフリカの現状を写真とともに描いた本、ごはんを残すと必ず母が口にした「世界には食べられない人もいるのよ」という言葉、海外ボランティアに熱心だった小学校の先生のお話など。これらすべてが私の価値観を形作ってきたのではないかと思います。

 

これは一つの例ですが、様々な価値観の源を探る中で気づいたのは、「教育」が自分の価値観の構成に与える影響の大きさです。学校の授業、先生や親の言葉・・・自分の価値観はこれらに大きく規定されている気がするのです。

 

 教育分科会では、教育というテーマを通して、日中の価値観をぶつけあう議論をします。一方、その議論で発する自分の意見は「教育」に大きく影響されているのではないか。

 教育に関する意見が、教育に規定されている。その面白さを体感しながら、今後の事前準備や北京大生との議論を存分に楽しみたいと思います。